「雑記」カテゴリーアーカイブ

久しぶりのスタイ手作り

友達の赤ちゃんに贈ろうと、ダブルガーゼを使ってスタイを作りました。

私の長女が生まれる前後くらいが、ちょうどミシンにとても夢中になってる時期でした。

妊娠するまではミシンも持っていないし、学生時代の家庭科授業で、先生が言ってることがいまいち理解できなくて、糸が絡んだりしてうまく行かなくて、ミシンを使ったお裁縫がすごく苦手なものとなってしまってました。

ところが結婚して間もない頃、当時仲よかった高校時代の友達に子供ができて、その友達が、子供のズボンを自分で作ったのを着せて見せてくれたことがあって^_^それをみて、そもそも服って自分で作れるものと思ってなかったのでびっくりしました。

それと同時に自分は、今まで色々と手芸もやってみたけど、どれも飽きてしまい続かなくてものにならずだったけど、服とか自分たちの身の回りのものが作れるんだったら、実用的にもいいよなと予感がして、

自分も子供ができたら、チャレンジしたいなと思っていました。

それがきっかけで、長女妊娠中に始めたお裁縫でしたが、初めては手縫いでスタイを作って、楽しくて楽しくて、結婚した時に買ってもらった、初心者モデルのミシンを使ってベビーグッズをいっぱいつくってました。

長女生まれてからはベビー服や、自分の服も作るようになり、ママ友にレッスンの実験台してもらったり、ドレスメーカー学院も二年がかりで卒業し、色々作れるようになりました^_^

それでもまだまだ洋裁は奥が深いし、作りたいものは常にいっぱいです。

だけど今まで人生の中でこれだけ長期的に好きなことを楽しく続ける事ができたことがなかったので、高校の友達と、長女の妊娠を機に洋裁に出会えた事には今でもとても感謝しています。

人生の中で何か一つで良いので、好きで夢中になれるものや、自分の思いを表現できるものがあると、それを通しての喜びやつながりがまた生まれる。

そして、何か困難を迎えた時にでも、好きなことが自分の心の支えになることもあると思います。

洋裁を通じて、そういったことも伝えていけたらと思っています^_^

最後まで読んでいただきありがとうございました^_^

久しぶりの水引き

次女を妊娠中に、貸し教室の店番をしていた時、ラッピングの先生が、奥田さんもよかったら〜と、水引きのレッスンに誘ってくれて、教えてもらったことがありました。

その後一度も結んだことがなかったのだけど、デザインの勉強していた時に水引きの作家さんのお話を聞いて感銘を受けて、自分の作品のラッピングに取り入れたいなと思うようになりました。

それから数ヶ月たった最近、たまたま手芸屋さんに行った時に水引きが売っていたので、購入し、早速結んでみました。

赤いのが一番基礎になるあわじ結び。

あわび結びが語源。

大切な贈り物をするときに、硬く結んで渡すのだけど、この硬く丁寧に結ぶということで、その思いの重たさを表しているとのこと。

あわびは高級なものだからその象徴。

右はあわじ結びを発展させた梅結び。

現代では水引きアートと言われて色々と発展系の形も出ているけど、アートだとかそうゆう軽い感じにしたくなくて、日本文化の元々の持っている意味とか行為の部分を、勉強、継承していきたいなと自分は考えております。

お母さんの頑張る姿を子供も見てるよ

昨日のレッスン〜〜 ご近所のママですが、平日はフルタイムワーカーで、いつも帰りは21時とかで遅いので、土日にしかお目にはかからないのですが、とっても明るくて、優しくて子供が大好きなお母さん😍

今度小学生に上がる息子さんの、入学グッズを、初めは、私に縫ってくれと言ってたのですが、子供はママが大好きやから、上手に作れてるとかじゃなくて、ママが作ったら一番喜ぶねんで〜〜って、話してるうちに、私もやってみようかな〜〜ってゆうことになりまして、前回に引き続き二回めのレッスンをさせていただきました。

近所の洋裁やってるおばちゃままで見学にきて、息子が喜ぶから写真撮ってもらっときや!

という事で撮影しておきました😊

ちゃんと巾着袋もできたよ〜〜😊 親だから、子供が苦手な物事に直面した時に、頑張れって思ったり、言葉をかける事がよくありますが、

親自身も苦手な事にチャレンジするというのは、言葉より影響力があると思ってます。

私は、オーダーで服や小物を制作しますが、入園に入学グッズに関しては基本的にはお断りしています。

お母さんが作ることに意味があると思っているから。

こんだけ女性が社会進出する社会になってるのに、そうゆう文化を幼稚園や学校側も残しているんだから、

簡単に人に頼んだりしてほしくないなと思うのが本音。

得意不得意関係ない。忙しいとかも関係ない。

時間はつくるもの。気持ちがあればね。

ですのでどんなお母さんでも絶対できるはずや。と思っています。

 

識 〜しき〜

 

 

 

般若心経の言葉を分析して読み解いた時に結構インパクトに残ってる1つ。

現代語にもあります、認識とか、意識、識別とか。

何かの物事に対して、これだと決める。

そうゆう意味。

仏教の、一番ルーツになっている般若心経では、識は人によって違う、そして変化していくものだということが言われてる。

これ、しっかりと心にいれとくとメンタルが強くなった。

人それぞれ物の捉え方や、考え方が違う、違っていいのである。

それを受け入れられなかったり、正そうとすると、しんどくなる。

それがひどくなると頑固者になって、人と触れ合わなくなる。
自分の正当化のため、自分と同じ考えの人や、自分が思うように動いてくれる人ばかり見方につけようとする。

たった一人で生きていくならそれでいい。
しかし、私たちは自然と人と共存していることを忘れてはならない。

一人がいい人は放っておいたら、いい。

だけど、周りの人が色々と気にかけてくれることをありがたいと思えるうちが花。

そうゆう心を無視して自分を守る人は、そうしたら良い。
そのようにしていたらどうなるか、それも自分の問題だ。

こうやって言ってる事も時期が来たら変わる。

当たり前だ。

色んな経験をしたら 識は変わるもの。

今思うままがベストだから、それでいいし、今の自分が在るということに感謝したら良い。

ライブの打ち合わせの時の次女。
子供の時は砂時計ですら、興味深くて、ずっと眺めたりする。
大人になったら、ただの砂時計として認識するだけになる。
それも 識 だ。

子供を観察しても、色々と学びがある。
大人になると、識が、増えすぎて頭が硬くなるのでありがたいことだ。

幼いけれど、色々思うことがあると思うので、
大切にしていきたいと思う。